わたしのみち
舞踊の道を歩み始め、もう50年は過ぎた!
半世紀かあぁ~! この間やめたいとか、他のことをしたいとか
思ったことはない。私の育った環境に舞踊家や芸術家がいたわけではないのに!
好きだったからどんなことも乗り越えてきたのか。
でも何人かの人や作品との出会いが私をこの世界に導いてくれたことは確か。
大学卒業してダンスをしたいと、うろうろしている私に教務補佐の仕事をくれて、一年後に
“二兎を追うものは一途を得られず”ですよ、とこの道へ肩を押してくれた恩師松本千代栄教授。そしてそのころに観たモーリス・ベジャールの日本初演、代々木体育館での「ロミオとジュリエット」、高橋彪さんの「パルク」、円形舞台に一本のロープのピーター・ブルックのTVの舞台中継「真夏の世の夢」などが私の舞踊を学びたい情熱に火をつけた。
文化庁在外研修員でNYのマーサグラハムスクールに留学、そこでメンバーに選ばれたことは仕事として考える契機になった、帰国後はその時の専任講師の大学の職を辞した。
さらに私はグラハムテクニックから離れたいと思った、あのメソッドの作品作りをしないようにしていった。
50代に入り自分の身体のトレーニングに独学でヨガを始めた。グラハムテクニックの源流がヨガであることを知り、再びグラハムテクニックを見直す、そしてマーサと出会う機会を得た。 “すごい!” この動きをあのメソッドにしたのか!私はマーサが生きているときに出会えていたのに、彼女にあまり興味を持たなかった事を今はすごく恥じている。グラハムメソッドを新しい視点から見れるようになったことは嬉しかった。
多くの人々の仕事が私の様々な時期にこの道に導いたと思うと、受け継がれていく事に確信を持った。私も小さなさざ波を起こしていこう!
竹屋啓子
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